説明
イツカキタミチ/脚本:長谷川公之、島耕二 音楽:大森盛太郎 監督:島耕二 山本富士子主演。第1回モスクワ国際映画祭審査員賞受賞作品。山梨県を舞台として、全盲の少年ヴァイオリニストとウィーン少年合唱団の交流を描いた作品。実際のウィーン少年合唱団が来日した際に出演しているほか、少年ヴァイオリニストは自身も視覚障害者のヴァイオリニストである和波孝禧(当時14歳)が演じている。タイトルは、作中でも使われる楽曲「この道」の歌詞から。ロケは勝沼町(現・甲州市)や甲府市でおこなわれた音楽映画。幼い弟と妹を抱えたさや(山本富士子)は、身障者である弟に生きる自信をつけさせるためバイオリンを習わせる。弟の腕はめきめき上達するが、やがて彼に白血病の診断が下る。そんな時、彼が感動したウィーン少年合唱団の公演が開かれる事を聞く。一年前に、少年合唱団が来日したとき、稔はその合唱に感動し、小倉を通じてヨハン君とペンフレンドになった。さやは弟のために合唱団を羽田に出迎えた。弟が生きているうちに、もう一度、合唱をきかしてやりたかった。が、スケージュールはつまってい、甲府公演を早めるわけにはいかなかった。日取りの早い静岡公演を甲府とさしかえるほか、稔の生きてるうち間に合う手段はないのだ。この不可能に近いことを、さやは実現させようとした。合唱団も放送局も協力した。団員の輸送には、両県の交通公社が一役買った。甲府公演が実現し、合唱団は病床の稔のために歌った。稔は自分がバイオリン用に作曲した“この道”を弾いてきかせたかったと残念がった。そのまま、彼は息をひきとった。公会堂で、合唱団は稔の作曲をみよの伴奏で合唱したいと申し出た。演奏するみよの姿が、舞台の袖でみつめるさやには、涙ぐみどうしても死んだ弟に見えて仕方がなかった。1959年6月10日~16日丸物会館、併映 市川雷蔵「千羽鶴秘帖」続映。1959年10月20日~23日豊橋千歳劇場、併映「江戸遊民伝」。 【サイズ:B2ポスター】【年代:1959年】




