説明
サンダイメシュウメイ/原作:田岡一雄「山口組三代目田岡一雄自伝」。脚本:高田宏治。音楽:渡辺宙明 監督:小沢茂弘。田岡が山口組の三代目を襲名して一家を立て直すまでを描く。三国人組織との芝居小屋での対決場面は任侠映画の雰囲気で大ヒット。田岡を「任侠の徒」として描いた「三代目襲名」に対し、山口組への対策を強化し始めていた警察は快く思わず、世間の良識派を挑発するような刺激的なヤクザ映画を連発する東映を「いつか潰してやる」と息巻いていたとの噂。警察とすれば潰滅を目標に掲げる山口組の映画が作られたことで面子をなくし、2本も製作されたことで更に躍起になったといわれる。警察側は「東映が山口組に金を払って宣伝映画を作っているのではないか」と、これを”金脈”と睨む。岡田茂東映社長は「田岡満氏は田岡組長の長男とはいえ組員ではない。ジャパン・トレード社はれっきとした芸能プロ。契約は商行為であり暴力団の資金源では無い」と反論、同年11月26日に兵庫県警捜査四課が警視庁応援のもとに東映本社、同関西支社、俊藤浩滋宅、田岡組長宅、ジャパン・トレード、同東京事務所の6か所を一斉捜査し、関係書類等多数を押収。実際に金を払っていたのは前売券を組に売りつけられていたヤクザの方だと判明する。昔はヤクザが映画館に顔パスで入ってくるため、それをさせないために前売券を組に売ったもので、ヤクザの方が金を払った証拠が出て警察も八方塞がりになったエピソードは映画的になると、岡田茂は「県警対組織暴力」というタイトルで映画化する。結局全国展開する時代を描くシリーズ三作目『山口組三代目 激突篇』も製作予定であったが、制作阻止を狙った警察が、山口組に利益供与しているとプロデューサーの長男田岡満を22件もの容疑で逮捕するなど、三作目の製作を断念したためこの作品が最終作となる。昭和19年5月、妻・ふみ子との間に長男・満誕生。昭和20年2月頃から神戸に対する米軍の本格的爆撃が始まり、6月、古川松太郎(河合絃司)が空襲により死亡。同8月15日、終戦による混乱に乗じて、不良外国人は、外国人聯盟を結成、彼らを基盤にした集団テロ、略奪を始めた。婦女暴行という現場を見せつけられた田岡は、外国人聯盟会長・朴基栄(渡辺文雄)を倒すべく出向くが失敗。田岡と心を同じくする国士館大生の大西利一、佐藤淳郎らを知り、復員してきた岡精義(山本隣一)、山田久一らを加え組織は昔日の片鱗を取り戻す。山口組自警団を結成、不艮外国人(汐路章・遠藤辰雄・曽根晴美)と対立。そんな田岡ら一行を羨望の眼差しで見ている若者がいた。地道行雄(渡瀬恒彦)である。不良外国人が交番を襲撃するという通報を聞いた地道は、遅れて来た田岡たちと共に外国人たちを叩きふせた。田岡は執拗に子分にしてくれ、と頼む地道に根負けし盃を交わす。エスカレートする不良外国人の暴虐さに根を挙げた警察は、山口組自警団に警備を依頼。自警団と外国人聯盟との間に死闘がくり返され田岡自身も傷を負うが、朴を倒す。翌日、外国人同盟は田岡個人に対し決闘を申し込んだ。死を決意した田岡は、吉川(待田京介)と共に本部に乗り込み、危機一髪の所を、直情径行の男・菅谷政男(通称ボンノ)安藤昇が拳銃片手に屈強な部下を引きつれてなだれ込み、田岡の危機を救う。昭和21年、須磨・延明軒において、田岡一雄の三代目襲名式が行われる。昭和24年、春。神戸港の荷役業者を集めて港洞会を結成、自ら会長に就任、つづいて神戸芸能社を設立し、山口組は盤石の基礎を囲める。二代目に水島道太郎、伯父気分に大木実・田島義文。田岡に恩を受けた朝鮮人として田中邦衛が不良外国人に対抗する。974年8月10日〜30日豊橋東映、併映「直撃地獄拳」。1976年12月15日〜24日豊橋東映、併映「山口組三代目」「任侠花一輪」リバイバル大会。【サイズ:B2】【年代:1974】




