説明
ナヨリイワ ナミダノカントウショウ/原作:池波正太郎。脚本:棚田吾郎。音楽:小杉太一郎。監督:小杉勇。厳しい相撲の世界に入門した名寄岩は順調に昇進していたが、身体の衰弱と経済的貧困で昭和25年春場所で極度に負け越す。相撲の世界で、ただひたすら土俵への情熱と誠実さをもって生き抜いた名寄岩の汗と涙の輝かしき半生記を本人出演で描く。戦前と戦後に2回大関に昇進して持病で不振となり昭和25年(1950年)夏場所西前頭114枚目まで番付を下げたところでの初の敢闘賞。その2年後の昭和27年(1952年)秋場所、横綱と顔の合う西前頭3枚目で横綱千代の山から金星を奪うなどの活躍で2度目の敢闘賞、38歳での関脇への返り咲きまで決めた。2回目の敢闘賞の際、妻が病死して晴れの姿を見ることが出来なくなって、映画では妻の遺影の前で敢闘賞の賞状を読み上げる場面が「涙の敢闘賞」たる所以。そして29年夏場所千秋楽には、その再起不能とさえ思われたところからの頑張りはまさに力士の鑑で、相撲史に特筆されるべきものとして(しかも前場所も堂々勝ち越している)、協会から特別表彰を受けた。これこそは名寄岩の代名詞『涙の敢闘賞』の集大成と言うべきものであろう。翌秋場所にはついに力尽きて引退を決意して年寄り春日山親方となる。ときに40歳。この戦後の最高齢幕内記録は、その後旭天鵬に破られるまで60年間輝き続けたのだった。彼自身の生き方が敢闘賞そのものと言うこと。40歳まで現役を続けるなど、奇跡的なことであった。平成29(2017)年九州場所、再入幕を果たしたベテラン安美錦の敢闘賞が大きな感動と反響を呼んだ。後輩日馬富士の暴行問題で、部屋や協会が大きく揺れるなか、リズムを崩すことなく頑張った。場所を通じて立ち合いの踏み込みがよかったので、その後の相撲でも、彼独特の技能が発揮されたと私は見る。本人も予想だにしなかった受賞だったのだろう。自分と一緒になって戦ってくれた家族への感謝の涙にくれた。名寄岩と安美錦の共通点は、やはり相撲に対する真摯な取り組み方であろう。1956年6月7日~13日駅前豊橋日活、併映「乙女心の十三夜」。【サイズ:豊橋日活チラシ】【1956年】