五ッ木の子守歌

南田洋子/北原義郎、船越英二、松島トモ子、伏見和子、村田千栄子、橘喜久子

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説明

イツキノコモリウタ/脚本:笠原良三 音楽:加藤光男 監督:枝川弘  北原義郎&南田洋子共演。熊本の民謡を軸に戦後の人々が抱える恋や喪失を描き、熊本を訪れた電気技師・秋元泰彦(北原義郎)と孤児として育った宮沢信子(南田洋子)を中心に描くメロドラマ。帰京した泰彦には従妹富子との縁談が待ち受けていたが、それには耳もかさぬ泰彦は再び出張で熊本へ発つ。信子が村の豪農の長男と結婚するという順三の話に、泰彦は愕然となる。泰彦は東京へひきかえしたが、その夜九州を襲った豪雨は本野家を流し、信子たちの消息を絶つ。泰彦は、学友田所の渡米送別会で神楽坂の料亭におもむいた時、和江のために芸者になった信子に再会。嫉妬に狂った富子の横槍で、信子は泰彦の前から姿を消し、キャバレーで働く。泰彦は、毎晩酒色に溺れ、叔父と激論し家を出、帰国した田所に会い、彼の工場に入れてもらった。信子も、和江の病院の女医いずみの世話で、いずみの兄の工場へ工員として入った。工場の運動会の日-信子は泰彦に会ったが、いずみの結婚の相手が泰彦である事を知って驚く。田所は、泰彦を高崎の工場長にし、妹のいずみと結婚させたい腹をもっていた。信子を絶望のどん底に陥したのは、和江の自動車事故死だった。悲嘆にくれた信子は、和江の遺骨を抱き熊本へ帰る。思い出の川面には“五ッ木の子守頃”が流れ、信子が死を決心した時、泰彦の呼ぶ声が聞こえて二人は強く生き抜こうと抱き合う。熊本民謡歳て有名な「五木の子守唄」は、守り子唄のひとつ。守り子唄とは、子守をする少女が、自分の不幸な境遇などを歌詞に織り込んで子供に唄って聴かせ、自らを慰めるために歌った歌。現在一般に「五木の子守唄」として知られているメロディーは、戦後に古関祐而が採譜し、民謡歌手の音丸姐によって初めてレコーディングされた。また1953年にキングレコードの歌手照菊が吹き込み大ヒット、一般的に知られることとなった。「おどま盆ぎり盆ぎり盆から先きゃおらんと、盆が早よ来るりゃ 早よもどる。おどま勧進勧進あん人たちゃよか衆、よか衆ゃよか帯 よか着物」。勧進とは「三十三人衆」と呼ばれる地主層に対しての「勧進」(小作人)という意味で、ここでは「物乞い」「乞食」という意味で用いられている。歌の意味は「私は乞食のようなものだ。(それにくらべて)あの人たちは良か衆(お金持ち、旦那衆)で、良い帯を締めて立派な着物を着ている」という意味。1954年4月21日~27日豊橋丸物会館、併映「漫画」。1955年2月22日~28日豊橋千歳劇場、併映「真実一路」。【サイズ:A2ポスター】【年代:1954年】