夜霧の滑走路

石井竜一/金田一敦子、三船浩、北原義郎、市川和子、若松和子、鶴見丈二

説明

ヨギリノカッソウロ/脚本:下飯坂菊馬、天野妙子。原作:中島源太郎。音楽:飯田三郎。監督:竹谷豊一郎。主題歌:三船浩「夜霧の滑走路」。大映が製作した昭和歌謡映画の1本。58分。羽田空港にアメリカから楽団シルバースターのリーダーで、ピアニスト三島隆二が降りたつ。楽団のマネージャーをしている彼の姉・マリや新井英介らが出迎え。隆二は二世のスチュワーデス・美沙子を連れていた。彼女は幼い頃アメリカの一世の養女になったが、日本の肉親たちを探そうと、やってきた。翌日、隆二は彼女を案内し、家族探しに。手がかりは写真一枚。山の滝の前で一家が写っている。それと似た滝のある山へきたが、徒労だった。天候が急変し、美沙子は雨にぬれて発熱した。マリたちは行方不明の彼を探していた。英介の経営するジャズ喫茶の舞台が待っていた。英介妹・洋子は彼が好きだった。彼が美沙子と出て行ったことを知ると、酒におぼれる。彼は美沙子を看病していた。マリは彼を見つけだすと、美沙子を無視して彼をののしった。舞台を終えると、彼はすぐ美沙子の許へ帰った。その夜、二人は結ばれた。隆二は演奏の間には必ず美沙子に会った。マリは英介に美沙子が身をひくよう頼んでくれといったが美沙子は不承知。その時、例の写真から、英介は彼女の兄であることが判った。隆二との関西旅行を中止して、一緒に英介の家を訪ねたとき、美沙子は妹洋子と会った。洋子は姉のために身を引く決心と同時に、美沙子が洋子のためにそうしようと決心した。隆二が舞台に出ている間に、彼女はアメリカ行きの飛行機に乗った。洋子のことを頼みますと書き置きして。隆二は彼女を追って空港へ行ったが飛行機は夜霧の滑走路を飛びたった。主題歌の歌手三船浩。本名:森田肖三、1929年9月生まれ。新潟県新井市(現・妙高市)出身。1951年、NHKのど自慢で新潟県代表となり関東・甲信越大会で優勝、全国大会で第3位に入賞。新潟放送でのラジオ制作・DJを経験し上京。1956年(昭和31年)12月、「男のブルース」(作詞:藤間哲郎、作曲:山口俊郎)で豊かな低音の魅力を生かし、キングレコードよりデビュー。芸名の三船浩とは、柔道四段で講道館の三船久蔵十段から命名。当時、フランク永井・神戸一郎・石原裕次郎と共に低音ブームを巻き起こし一世を風靡。「さようなら故郷さん」「東京だより」「夜霧の滑走路」「黒帯の男」「サワーグラスの哀愁」「小樽の赤い灯が見える」「男の酒場」などのヒット曲。国産初の連続テレビ映画「月光仮面」の挿入主題歌(曲名:月光仮面の歌)および「豹の眼」の主題歌も歌い、子供達からも支持。NHK紅白歌合戦にも3回出場。1995年(平成7年)に最後の作品「大地よ」を発売するまで、526曲のレコーディングを行った。スポーツ万能、ゴルフもシングル・ハンディ。艶のある高音も特徴の一つで音域が非常に広い。軍歌も多数。1991年から1995年まで日本歌手協会の理事長職。2005年7月8日、心筋梗塞のため東京都府中市の病院で死去。75歳没。1958年7月28日~8月4日丸物会館、併映「女狐風呂」。【サイズ:B2ポスター】【年代:1958年】